父母の営みに接した少年時代の思い出[前編]

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昔の家はふすまで仕切られてて、夫婦の夜の営みもままならなかっただろう。

それでもなんとかやりおおせたのは、昔は子供が夜更かしをしなかった・・・と言うより、おいらが過ごした昭和三十年代は夜更かしする材料がなかった。
テレビの普及率も低く、12時には放送が終了していた。
だいたい小学生で九時くらいではなかったろうか。
だから秘密の守れないふすまで仕切られた和室でも子供が寝入ってしまえばなんとかなった。

でもソレもさすが小学生までで、子供が勃起し始めたり、精通がある頃になると狸寝入りの子供のすぐそばで夫婦の営みが執り行なわれる事となった。
あの頃の子供の性の知識の仕入れ先はテレビでも新聞でもなく、母親が読んでいた婦人雑誌が多かったような気がする。
終戦後、国家主義から個人主義へと世相が代わり、『家族計画』なるものが出てきて、夫にその方面で協力させつつ妻も性生活を享受することが肯定されるようになった。
主婦の雑誌にも『避妊のやり方』と共に、夫との性生活の手ほどきや、相談記事が大手を振って掲載され、性に興味を持ち始めた子供が親の留守などによく読んだものだった。

かくいうおいらも・・・。

「最近夫が後ろから挿入したがります・・」
「私の性器にキスをしたりしますがだいじょうぶでしょうか?」
「夫婦生活はどれほどの頻度で営むのが正常でしょうか?」
「営みでどうしてもオルガスムスに達しないのですが・・」
「夫の早漏を直すには・・」
「夫は明るいところでしたがるのですが・・」
「夫にカラダを触れられただけで局部が潤ってしまい、挿入前にお手洗いへ立つので夫が嫌がります・・」

・・・とか、今なら話題にもならないことで秘め事を想像し、包茎のチンポを硬くしてパンツを汚していたものである。
あの頃はパンツも布団の敷布も自慰で放出されたおいらの精液で黄色くなっていたのだが、母はソレについて何も言わなかった。

そういう記事は大抵綴じ込みになっており、開封しないと読めないようになっていた。
それを開けられていたということは母もその事に関心を持っていたということで、二重に興奮をそそる気持ちになるものだった。

うちの母は専業だったけれど、助産婦、保健婦の資格を持っていたので実際のやり方は知っていたろうし、いつだったか女性主体の避妊方法に『ペッサリー』というものがあって、子宮口のゴム製の蓋をして子が出来ないようにするやり方なのだが、雑誌に片足を椅子の上に上げ股を開いて女性がソレを膣の奥深く挿入する挿絵が載っていて、ソレを見て自慰を思わずしてしまった。
多分うちの母も父がワンマンだったからコンドームなる煩わしいものを拒否して、男本意で生で交合したろうから、ペッサリーなるものを母も自分で付けていたと思う。

・・・で、次回に中一まで両親と同じ部屋で寝ていたおいらが遭遇した父母の営みについて、またお話しします。

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