医療行為の最中に芽生えた不謹慎な感情

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それは25年ほど前のことでした。
まだ私が準看護婦を目指していた時、外来だけの個人医院に住み込みでお世話になり、午前は医院のお手伝い、午後は看護学校に通わせて頂いていた時のことです。

その医院には真理江ちゃんという、とても物静かで素直な小学校の6年生のお嬢さんがいました。
ご両親は真理江ちゃんに大きな期待を持っていて、家業の医院の跡を取ってもらいたいという期待で、可哀想なくらいの教育ぶりでした。
毎日の家庭教師が来ては2時間の勉強。
日曜など家庭教師が来ない日はドリルを。
友達と遊ぶことは許されず、学校から帰るなり、勉強ばかりの毎日に追われていました。
私は学校の宿題の見直しなどを院長に依頼されていました。
夜の9時から1時間、アルバイト代も頂いていました。
住み込みで一緒に暮らす私から見たら、まだ小学生なのにと、とても気の毒に感じていました。

そのせいか真理江ちゃんは体調不良が頻繁に起きていました。
毎月1、2回、原因不明の発熱がありました。
今で言えばストレスによる便秘なのでしょうけど、当時は“ストレス”という所見で判断する時代ではなく、私も素人の学生なのでどうしてなのか不思議でしたが、今にして思えば、勉強の強制がストレスとなって、そのような症状が出たのではないかと思います。

真理江ちゃんがそんな体調不良で学校を休もうものなら、お父様でもある先生が、「勉強が遅れる!」と、ひどく真理江ちゃんを叱っていました。
私は真理江ちゃんが叱られている姿がとても悲しく、先生をよく思えない時が何度もありました。
そんな真理江ちゃんは、両親には表現できない親しみを少しずつ私に示してくれるようになりました。
ご両親もそんな娘の笑顔や自然な子供の表情が見れることを安心していたように感じました。

当時の院長先生は、子供の患者さんに対しての医療はできるだけ内服薬(飲み薬)を使わない主義でしたので、自分の娘さんに対しての解熱の医療処置も内服は使わず、座薬で対応する、という方針でした。
家が内科・小児科の医院なので、お薬はもちろんのこと、真理江ちゃんに起きた体調不良は院長先生からの指示が出て、私がほとんど対応していました。
座薬の挿入や浣腸などは医療行為ではあるものの、先生の指示で診察室で行なわれることもありましたが、患者さんが多くて忙しい時などは、私が真理江ちゃんの部屋まで往診に行くことも多くありました。

先生の指示通り座薬の投薬をしようとした時、真理江ちゃんが便秘だと気が付いた私はそれを先生に伝えると、「浣腸をかけてから座薬を使ってくれ」という指示をされました。
当時の浣腸は今で言うディスポーザブル(使い捨て)のグリセリン浣腸がまだない時代で、薄いブルー色をした50ccのガラス製の浣腸器が一般的な時代でした。
指示を受けた私は、診察室で銀のトレイにガーゼを敷いた上に浣腸器にグリセリン50%を満たしたものを用意して真理江ちゃんのお部屋に向かったのです。
お部屋のベッドでは羞恥の少ないうつ伏せで処置を行ない、お部屋に付いている和式のトイレで排泄させた後、座薬を挿入するという感じです。
病院には3名の看護士がいましたが、真理江ちゃんが一番懐いている私が適していたからだと思います。
実習のためだとはいえ、私にとって現場での処置はまだ早すぎる処置でしたし、初めてで慣れてない為にかなり緊張する処置でもありましたので、先輩看護士さんにその手順や注意事項などをよく確認してから真理江ちゃんのお部屋に行きました。

お部屋は忙しく慌ただしい現場とは違い、不思議なくらい静かだったので、真理江ちゃんへの処置の説明や手順など、お互いがリラックスした感じで意外に上手にできたことを覚えています。
私にとっては処置という行為が初めてだったので、しっかりとした医療処置にも関わらず、正直私はその行為が、すごくエッチで恥ずかしい感じがしてました。
緊張感もありましたが、お部屋に2人だけという不思議なドキドキ感もありました。

当時の私は授業を真面目に受けるガリ勉タイプで、男性に対しての興味など、そんな世界からは程遠く離れた学生でした。
そんな私を心から信頼してくれる真理江ちゃんは私にとって、自分が頑張れる、大事な存在でもありました。

「早く体調をよくしてお父様に叱られないようにしたいね」

私がそう言うと、真理江ちゃんは、それが一つの大きな悩みだった事を話してくれたのです。

「またお熱が上がらないようになんとかして治さなきゃね」

私の言葉を、真理江ちゃんは受け止めてくれて、真剣なまなざしで頷いていました。
そんな問題を解決するために2人で相談した結果、夜の勉強中に運動をしてみたり、下腹部へのマッサージなど水分補給などにも積極的に取り組むことになりました。
そんな取り組みを2ヶ月ほど行ないましたが、それでも真理江ちゃんの定期的な体調不良は改善することはなく、私をも悩ませたのです。
それは彼女への愛情だったのでしょうか?
私は妙な責任感に駆られ、看護学校の図書館まで足を運んで消化器官のことを調べたり、宿題を見てあげてるときにも看護学校で使う教科書を広げて調べるなど、なんとか真理江ちゃんの便秘を解消してあげたいと考えていました。

そんな努力も虚しく改善の兆しがない当時、まだ素人の私が思いついたのは、“体調が悪くなくても定期的な浣腸を行なう”ことでした。
真理江ちゃんが便秘にならないように注意して、発熱を防ごうと考えていました。
もちろんその思いも真理江ちゃんに話して、今までの水分補給、部屋での運動や下腹部へのマッサージなどは夜の勉強の時間に続けていくことになりました。
真理江ちゃんのとのコミュニケーションを常に取り、お通じの様子も聞きながら、本人の体調が怪しいと思われたときに、それを行なうという提案でした。
私独自の思いつきで不安もありましたが、そんな提案をしたところ真理江ちゃんは、「うん、私頑張る」と笑顔で答えてくれ安心しました。

(定期的な浣腸なんて・・・)

看護学校の授業中も色々な思いが駆け巡り、だんだんと不謹慎なドキドキ感に変わっていったのです。

(今夜は看護の教科書にあるこの部分を見せないと・・・)

『浣腸の処置後は5分我慢が理想』

真理江ちゃんの排泄の我慢を強く強制するために、夜の勉強の時間にそれを見せながら納得させました。

当時の私は、それを行なう日には朝からそわそわとしてしまい、アルコールの匂いもなく医療を感じない部屋という雰囲気の中、診察室からこっそりと借りてきた浣腸のセットを部屋に持ち込む時に、今まで感じたことのない不謹慎な期待感のようなものを感じてしまっていました。
私を制御しようとする罪悪感と戦いながらも、私を信じて安心してくれている真理江ちゃんに気がつかれぬように、今までと同じ羞恥心が少ないうつ伏せの体位だけではなく、排泄をできるだけ我慢できるようにと腹部を圧迫しない体位を指示してみたり、いつもの時よりグリセリン液を少し増やしてみたり、濃度を少し濃くしたグリセリンの液体をわざとゆっくりと注入していました。
真理江ちゃんに私の不謹慎な気持ちを悟られないために、さりげない普通の会話を投げかけたり、平静を装うことに専念してました。

処置後、腸内を刺激するグリセリンの辛さに必死に頑張る真理江ちゃん表情や、体位によって女性の恥ずかしい部分が露わになってしまう部分をいやらしい目で観察しながら、私は、「もう少し頑張りましょう」と励ましました。
真理江ちゃんのゴロゴロと音を立てる下腹部に手を当てながら優しく揉んであげたのです。
そして我慢の限界を迎えた時も真理恵ちゃんを優しく抱えるようにトイレに誘導して、恥ずかしい排泄音を聞いたのでした。

その時の私は、全身に鳥肌が立つような興奮を感じてしまっていたのでした。
あの頃、まだ若かった私自身も、自分の性的感情のコントロールができず、いつの間にか・・・。

(真理江ちゃんを、優しくいたずらしてあげたい)

そう思うようになってしまっていました。

いけないと思いながらも、その処置の回数を重ねるたびにソフトにエスカレートさせ、実行していきました。
私はそんな偽りの優しさで真理江ちゃんを包み込み、誰にも秘密で不謹慎な処置が絶えることのないよう努力していました。
そして自分の性的欲求を、約1年半の間、それで消化していたのです。

たぶんですが、あの行為は真理江ちゃんに最後まで気づかれることはなかったと思います。
(※医療行為を理由に不謹慎な行為でしたが、性的な行為などは一切しませんでした)

でも、今になって思うのは、いくら彼女を思う気持ちはあったとはいえ、いたずらな気持ちを含んだ形で処置をしたことは、私を信じて懐いてくれていた真理江ちゃんにとても申し訳なく思います。

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