幼馴染の女の子が養父に犯されている現場を目撃して

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この話は体験談ではなく目撃談です。

俺の幼馴染に『チカ』って子がいたんだ。
幼稚園児の頃から周りから浮き立つほどの可愛さでね。
性格はかなり大人しかったけど、そこにいるだけで人の目を集める子だった。
小学校高学年の頃には、可愛いというより奇麗って感じになってて、中学の頃にはチカの色香に狂ってか、やたらとまとわりつく若い男性教師とかもいたよ。

俺が3歳くらいの時に、チカの家の近所に引っ越してきたんだけど、その頃から俺はチカのばあちゃんのお気に入りだった。
チカが一人っ子だったこともあって、いつも一緒に遊んでいた。
幼稚園児の頃の俺は、女の子の遊びばっかしてたなw
チカの両親は共稼ぎでいつも家を空けていて、毎日のようにチカの家に行っていたのに、チカの両親とはほとんど馴染みがなかった。
チカのばあちゃんが亡くなる前はまるで自分の家のようにチカの家に上がりこんでいたけど、ばあちゃんが亡くなってからは俺が行くこともなくなっていった。
ガキの頃は気付かなかったんだけど、俺の両親とチカのばあちゃんとは仲が良かった反面、チカの両親とはあまり折り合いは良くなかったようだ。
というより、チカの両親は近所の人たちからどうも白い目で見られていたみたいだ。
だからってわけじゃないけど、ばあちゃんが亡くなってしばらくした頃から、俺とチカがお互いの家を行き来することはほとんどなくなった。
相変わらず仲は良かったけどね。

チカはトロいというか、おっとりしていて、運動は苦手だったけど学力は優秀で、絵を描くのも巧かった。
美術部に入っていて、展覧会か何かで賞を取って、全校生徒の前で表彰されたりもしていた。
それが中2の3学期辺りから突然美術部の部活に出なくなり、絵も描かなくなった。
絵を一枚描き上げるたびに俺に見せに来ていたのに、それもなくなっていたからね。
学年トップクラスだった成績もガタガタに落ちて、中の下くらいにまでなっていた。
心配した美術部の顧問が俺に様子を聞きに来たりもしたよ。
美術部の先生に様子を聞かれても俺は答えようがなかった。
以前は友人やクラスメイトに冷やかされるくらい一緒にいたのに、その頃はチカが俺を避けていたんでね。
チカは学校も休みがちになり、登校しても暗くて誰とも話そうとしなかった。
俺もチカの友達に小一時間問い詰められたりもしたけど、原因は判らなかった。

中3の2学期、チカが俺のクラスの教室に来て、「放課後、ちょっと付き合って」と言った。
チカは何か疲れ切った感じで、げっそりしていたな。
俺は「わかった」と答えたんだけど、担任に呼び出しを喰らったんで、チカと仲の良いクラスメイトの子に、「帰りにチカの家に直で寄るから、先に帰っていてくれ」と伝言を頼んだ。

担任の話が長引いたので俺はダッシュでチカの家に向かった。
チカの家に着いてインターホンを鳴らしても何の応答もない。
俺は庭に回った。
もともと、ばあちゃんが生きていた頃からチカの家に上がる時は縁側から上がっていたからね。
縁側に回ると、窓もカーテンも閉まっていた。

(家の中の明かりはついてるのにおかしいな?)

そう思ったけれども、時間も遅かったし、夕食の買い物にでも出たかなと思って、一度家に戻ってから出直すことにした。
門の方に足を向けたその時、微かにだけど、家の中から確かにチカの声が聞こえたんだ。
俺は靴を脱いで縁側に上がり、カーテンの隙間越しに家の中を覗いた。

そこで俺は、信じられない・・・というよりも、信じたくない光景を見た。

居間の床の上で、白のハイソックスを履いた白くて細長い足の間で、バーコード頭のオッサンが肉の弛んだ汚いケツを振っていた。
ソファーの上には制服のセーラー服のスカート、片足の足首のところに脱がされた白い下着が引っかかっている。
オッサンの体に隠れて見えないけど、ヤラれているのはチカに間違いないだろう。
俺はショックで自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。
膝の力が抜けてガクガクしたさ。
食い込んだ爪がアザを作るほど拳を強く握り締め、噛み締めた唇から血が流れ、口の中に鉄臭い味が広がった。
オッサンは更に激しく腰を振り立て、オッサンの体の下からチカの「あっ、あっ」という微かな声が聞こえた。
時間にすればほんの5分か10分のことだったのかもしれないけど、俺には何時間にも感じられる苦痛の時だった。
見たくないのに瞬きも忘れて俺は2人のことを凝視した。

上体をピクッと震わせると、オッサンは不意に腰の動きを止めた。
そのまましばらく重なったままでいてからチカから離れた。
オッサンの顔を見た瞬間、俺はその場に凍りついた。
チカを犯していた男はチカの父親だったのだ!
冬服の紺のセーラー服の上着だけを着て、へそから下は裸という姿のまま、チカは呆然と天井の方を見ていた。
開かれたままの股の間からは放たれたばかりの大量の白濁液が流れ出していた・・・。
俺の目はチカの股間に釘付けだった。

その時、ふいにこちらを見たチカと俺の目が合った。
その瞬間、チカは背中を向けて、「嫌、お願い、見ないで!」と叫んだ。

「誰だ!」

チカの父親がそう言って窓を開けた。
奴が俺を捕まえようと手を伸ばしてきた所に、俺は思い切り右の拳を叩きつけた。
俺より頭一つ背の高いチカの父親は、顔面にモロにパンチを食らって吹っ飛んだ。
俺はブチキレて、訳の分からない状態で馬乗りなって、チカが「止めて!」と叫ぶまで無我夢中で殴り続けた。
チカの父親が動かなくなったところで、俺はチカの泣き声を振り切って、靴も履かずに走って逃げた。
家に帰ると俺は朝まで部屋に閉じ篭った。

チカを放って逃げ出してきて、部屋に閉じ篭って何をしていたか?
涙をボロボロ流して、泣きながらセンズリかいてたんだよ!
我ながら情けねえ!

靴も履かずに帰ってきて、メシも食わずに部屋に閉じ篭り、朝、目を真っ赤に腫らしてた俺を見て、俺の親は俺を問い詰めてきた。
だが俺は頑として口を割らなかった。
チカの父親を殴った右の拳の指が骨折していたので結局、学校は休んだけど・・・。
チカの父親は警察にも学校にも連絡しなかった。
俺の親に文句を言いに来ることもなかった。
まあ、できっこなかっただろうが・・・。

あの日以来、チカが学校に来ることはなかった。
それでも、かなり程度の低い私立の女子高に進学は出来たらしい(推薦か?)。
卒業式にも結局現れなかった。
チカは俺だけでなく、他の女友達とも音信不通になった。
同じ学校に行っていた子の話だと、1日も登校してきたことはなかったそうだ。

俺が高1の夏休み、夜逃げでもするかのようにチカ一家は引っ越していった。
それからのチカ一家の音信は完全に途絶えた。
やがてチカの家のあった一帯は取り壊されてマンションになった。
俺が高校を卒業する頃、俺の一家も再開発で住んでた家を引き払い、隣の市に引っ越した。
その頃には、バブルの不動産狂乱に巻き込まれて他の幼馴染も、俺やチカのことを可愛がってくれた近所の人たちも皆、バラバラになってしまっていた・・・。

―――後日談―――

和歌山のカレー事件が起こった頃、テレビに出てきた林◯◯美を見た俺は、「こいつさ、昔、近所に住んでたチカの母ちゃんに似てるよな。思い出してみると遺伝的にありえないくらい似てない親子だったけどさ」と言った。

すると俺の母は驚いた顔をして、「えっ、アンタ知らなかったの?」と言ってチカ一家のことを教えてくれた。

チカは、ばあちゃんの孫ではなく、孫娘の娘(ひ孫)だったらしい。
チカは私生児で、チカのお母さんはチカを生んでから寝たきりで1年もしないうちに亡くなったそうだ。
戦前からの大地主だったばあちゃんの家に、チカのお母さんが亡くなる前からこの養父母夫婦は現れるようになって、お母さんが亡くなってお葬式を出したどさくさに紛れて家に入り込んだということだ。
チカの養父母はチカを養女として育てることを条件に、夫婦でばあちゃんとチカの家に正式に(?)引っ越してきた。
ばあちゃんは90歳を超えていたのでチカを育てきることは出来ないからということで。

チカの養父母は近くの朝◯部落出身で、親戚やらなにやらがばあちゃんの生前からひっきりなしに金の無心に来ていたそうだ。
貸すまで帰らないで家の前で大騒ぎするものだから、ひんしゅくを買っていたらしい。
しかも、この夫婦は創価学◯員で、ばあちゃんの死後、チカの財産を食い潰し、近所でもしつこく折伏して回っていたので鼻摘まみ者だった。
チカの住んでいた家が最後に残った唯一の財産だったらしい。

最後に・・・。
チカは3、4年前に結婚したそうだ。
相手の人は一回り以上年上で、子有り再婚だったらしいけど、家庭は円満で元気でやっているらしい。
“チカの子”がこの春、高校教師をしている中学時代の友人の教え子になって、保護者面談で再会したそうだ。
世間は結構狭い。
色々苦労したらしいが、俺はチカが幸せになれたことを知ってホッとしている。
10数年間、チカのことはずっと胸につかえていたからね。

以上です。

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