私の人生を変えたキモオヤジとの監禁生活

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私は43歳の主婦です。
夫も知らない私の闇の過去です。

中学時代の私は勉強も出来て男子からも人気があり、中学2年の夏には野球部エースでキャプテンの先輩と初体験も済ませ、友達からは一目置かれる立場でした。
高校は県内で1、2を争う進学校に入学。
新しい先輩彼氏も出来て楽しい高校生活を送っていました。
ただ友達に「東京に遊びに行こう」とか「ディズニーランドに行こう」って誘われることが、私の家はそんなに裕福ではないので悩みでした。

彼氏も受験勉強が忙しくなり、高校2年の時におじさん相手にアルバイトをしました。
1回会うと当時の高校生には大金を貰えるので、学校が休みの日には市内に出向いて会ったりしていました。
友達と原宿でショッピングしたりディズニーランドも行けるようになり、なかなか会ってくれない彼氏とも別れ、そんな事を繰り返していました。
妊娠や病気が怖かったので徐々にお金持ちの定期の人に絞り、色々な要求にも応え、高校3年の時にはお尻も経験させられ、表向きは美人優等生、裏では淫乱高校生の二重生活をしていました。

ある日、いつものように定期の人に会って地元の駅まで送ってもらって自転車で家に帰る途中、後ろから車に激突され、私は気を失いました。
目を覚ますと足や膝に激痛が走り、骨折しているのではないかと思うくらいでしたが、裸でベッドに縛られているこの状況の方が最悪の事態であることに気付き、大声で助けを呼びました。
すると、デブで薄毛のキモオヤジが手にスタンガンを持って現れ、「静かにしろ」と低い声で言いました。
顔にスタンガンを近づけてくるので抵抗をやめるとキモオヤジは、「俺っていう彼氏がいるのに他の男とホテルに行くなんて酷いじゃないか」と訳の分からないことを話し始めました。
男は私と付き合っていると言うのです。

私は全く知らないキモオヤジに、「じゃあなんでこんな酷いことするの?足も痛いし解いて」と冷静を装い言いました。

キモオヤジは、「僕を裏切ったからお仕置きしないと」と言い、アソコにバイブをねじ込んできました。

「痛い!やめて!」

叫びましたが両手両足をベッドに縛られているので抵抗出来ず、されるがままの状態で何十分もされ続けました。

「痛いの、本当にやめて!」

何度も泣きながらお願いしました。
徐々に体が反応しているのをキモオヤジに知られたくなかったのです。
しかしキモオヤジはやめてくれず、ジュポジュポと音を立てて出し入れを繰り返しました。
さっき定期の人にイカされているのと女の防衛本能で濡れてしまいました。
結局イカされてしまったけど、声は押し殺したままでキモオヤジを睨みつけました。

オヤジはスタンガンを近づけて、「気持ち良かったんだろ?『ありがとうございました』って言え!」と言われ、言わされました。
屈辱感で、死んでしまいたいとさえ思いました。

その後も私はキモオヤジに色々なことを言わされました。

「あなたのチンポでイカせてください」と言えば、「まずは綺麗にしてくれない?」と言い、私に跨がって頭を掴んでの強制フェラ。
臭くて汚いモノを口に出し入れされ、「私の汚いマンコに入れてください」と言わされて犯され、最後は「あなたの子供が欲しいです。中に出して下さい」と言わされました。
私が黙るとスタンガンを近づけてくるので従うしかありませんでした。
キモオヤジは、「子供は女の子がいいなぁ~。きっと可愛い子が産まれるんだろうな~」とか頭がイカれたことをブツブツ言ってました。

私は、(今、何時なんだろう?きっとお母さん、心配しているだろうなぁ)とか、死人のように天井を見つめながら考えていました。
この時、自分があまりにも冷静だったので、(私、頭がおかしくなったのかな~)とも思いました。
生きてお母さんに会いたいと思うと涙が流れ、どうしたら解放してくれるか考えました。

キモオヤジはコンビニ弁当を食べるように私に言いましたが食欲なんかあるわけもなく、キモオヤジは食べ終わると人形のような私を犯し始め、中に出すとそのまま寝てしまいました。
重くて息苦しくて一睡も出来ないまま朝を迎えました。

キモオヤジは出掛けると言い、私をお風呂の手摺に拘束して出て行きました。
猿轡をされていたので声が出せないけど脱出する方法を考えました。
そんな時、ウンチがしたくなり、我慢したのですが我慢できず、その場でしてしまいました。

(奴が帰って来るまでにコレをなんとかしないと)と思い考えましたがどうすることも出来ず、キモオヤジが帰って来て、最悪の現場を見られてしまいました。

キモオヤジはニタニタ笑いながら、「さなえはこんな臭いウンチするんだ~」と言いながらシャワーを私に掛け、お尻の穴に指を入れて中を掻き回し洗いました。
シャワーをお尻の穴に当て、お湯を入れられ、私はお尻から茶色のお湯を噴射させられ、何も考えられずされるがまま何度もやられました。

その後、「お尻にあなたのチンポを入れてください」と言わされ、お尻を犯されました。
もうどうでも良くなって、ベッドでもまたお尻とアソコにバイブとチンポを交互に入れられ、私もおかしくなってイッてしまいました。
キモオヤジが、「僕のおちんちんでそんなに感じてくれるなんて幸せだな~」とか意味不明の独り言を言っている間に、私は2日間寝ていなかったので寝てしまいました。

目が覚めると下半身に違和感があり、キモオヤジが腰を振っていました。
私は寝たふりをして耐えていました。
キモオヤジが外出すると左手だけ自由になっていて、お茶とサンドイッチが置かれていて、『栄養をとらないと丈夫な赤ちゃんが産めないから食べてね』と置き手紙がありました。
私はお茶とサンドイッチを口にしましたが、昨日の排泄行為のことが頭を過り、少しだけにしました。

左手が自由になったので、何か方法はないか考えました。
近くにある物と言えばペットボトルのお茶と食べかけのサンドイッチ、それとティッシュペーパーくらいだったので力の限り大声を張り上げました。
近所の人が通報してくれるはずと信じて叫び続けました。
何時間も叫び続けたので喉はカラカラで、体力も限界になった時にキモオヤジが帰宅。
私は「何か飲み物を飲ませてください」と頼みました。
キモオヤジは小さなビンの栄養ドリンクの蓋を開けて私に飲ませました。
正直、飲み物なら何でも良かったので一気に飲み干しましたが、胃の中が熱くなるような飲み物で余計に喉が渇き、ペットボトルのお茶をもらって一気に飲みました。

すると数分後に私の体に異変が起き、身体中が熱くなって、ローターでアソコを弄られただけでイッてしまいました。
それどころか絶頂感が止まらず、乳首を触られただけでイキ、挿入された瞬間もイッて、何をされても感じてしまい、「お願い、やめて、身体が変なの」と言ってもやめてくれず、何時間もイキっぱなしの状態が続いて、とうとう失禁してしまいました。

キモオヤジが、「あ~あ、ベッドがビショビショだよ~」と笑い、私は何度も「ごめんなさい」と謝りました。

「今度お漏らしする時はちゃんと言ってね」

お風呂場に連れて行かれました。
足は足枷をされていたけど左手が自由になっていたので自分で身体を洗い、中に出された汚い体液を掻き出しました。
キモオヤジがお風呂場に入ってきて、「僕のも洗って」と言うので従うしかなく、石鹸で身体を洗おうとすると、「さなえの舌で洗ってよ~」と言われ、頭の回路が麻痺している私は首から胸、手、腕、脇と、強烈な臭いでしたが必死に舐め、チンポ、足、足の指、お尻の穴、時間をかけて洗いました。
すると「ご褒美だ」と言われ、お尻の穴に挿入されて、またイカされてしまいました。

ベッドに座らされ、足枷と手錠がされて、ハンバーガーが出されました。
散々イカされて空腹の限界が来ていたので手に取ると、キモオヤジは私の手からハンバーガーを奪い、「さなえには隠し味が必要だよね」と言って自分のチンポを扱き始め、ハンバーガーの間に出して私に手渡しました。
私は手に持ったまま食べるのを我慢しました。

するとキモオヤジは、「さなえは本物のソーセージの方がいいか~」と言い、チンポにケチャップを付けて私の口に入れました。

それから1時間以上頭を掴まれ、口に出し入れされてようやく大きくなったモノから発射された時は、空腹と息苦しさで気を失いかけていました。
さっきの栄養ドリンクを口移しされ、汚い体液も一緒に飲み干しました。
するとまた先程と同じように身体中が熱くなり、座っているだけでイキそうになり、喉がカラカラでお茶をもらいました。

キモオヤジがアダルトのゲームを始めると、キモオヤジにはバレないように乳首を自分で触ってイッてしまい、アソコからはいやらしい汁が太ももを伝っているのが分かりました。
つい手がアソコに伸びてクリを指で触ると電気が走り、終いには指を入れてオナニーを始めてしまいました。
キモオヤジはゲームに夢中だったので気付かれなかったけど、身体中が性感帯のような感覚で、しかも絶頂感が止まらず、声を上げてしまった時はさすがにバレてしまい、「そんなにしたいならおもちゃを使っていいよ」とバイブを握らされ、狂った私は自分のアソコに入れて絶頂を味わいました。
何度も何度もイキたくて夢中で出し入れして、そのまま眠ってしまいました。

目が覚めると、テーブルには昨日のハンバーガーとお茶、栄養ドリンク2本、バイブ、ローターが置かれていました。
私は躊躇うことなくハンバーガーを口にし、栄養ドリンクを飲みました。
するとまた昨日の感覚が襲ってきて、バイブでオナニーして眠り、また起きると栄養ドリンクを飲んでオナニー、お尻にバイブ、クリにローターを当てて快楽を求めました。
もっと気持ちよくなりたいと考え、何度も何度も自分で自分を犯しました。

キモオヤジが帰って来た時もオナニーの真っ最中で、イキ果てる瞬間でした。
おしっこがしたくなりトイレに行かせてと言うと、「さなえのおしっこなら僕が飲むよ」と言われ、風呂場で口を開けてるキモオヤジに跨がっておしっこをしました。

「明日から休みをもらったから淋しい思いはさせないよ」

そのままキモオヤジの上に跨がって、腰を沈めて快楽を味わいました。
その日は何度もキモオヤジにイカされました。

朝起きると身体中が筋肉痛で痛いのですが、気持ちよくなりたくて自らフェラして、上に跨がって腰を振っていました。
もうこの時は足枷も手錠も外され、オナニーとセックスを繰り返していました。
キモオヤジのおしっこも飲めるようになり、私は狂ってしまいました。
監禁されているのも忘れて快楽を追求する日々が続き、キモオヤジが寝ていてもフェラをして挿入を繰り返し、それでも物足りないとバイブをお尻に入れて中を掻き回したりしてしまう自分でした。

ある日、「何が食べたい?」と聞かれ、「おちんちん、嘘、冗談(笑)ピザかな~」と答えました。

ピザ屋さんにキモオヤジが電話すると40分くらい掛かると言われ、私は「それじゃあ来るまでオナニーしよう」と言い、ベッドでバイブとローターを使ってオナニーを始めました。

チャイムが鳴り、ピザ屋さんが来ました。
玄関で話し声がして、(何かなぁ?)と思った瞬間、部屋のドアが開いて、おばさんが入ってきました。
私がベッドで股を広げ、バイブをお尻に刺してローターでアソコを刺激している時でした。

「◯◯さなえさんですよね。県警の◯◯です」

そのときのことはハッキリと覚えていないのですが、県警の婦警さんが話している途中で私はイキ果てました。

私にとっては監禁中より、ここからが地獄の始まりでした。
保護された私のニュースは全国のニュースで流れました。
後で分かったことですが、当時の警察発表は私の将来を考慮して、『食事も与えられ、命に別条はないけど、発見時は縛られていて衰弱していて病院に搬送』という感じでした。
まさか発見時にオナニーしてたなんて発表出来ないしね。

キモオヤジには前科があり、すぐに捜査線上にあがって、1週間張り込みを続けていたとか。
もっと早く保護してくれればキモオヤジのおしっこなんか飲まなくて済んだのに。
私は病院に搬送され、お母さんと再会し、泣き崩れました。
両親は私が裏でやっていたことも知っていて、会話もなく泣くだけでした。

警察には覚えていることを話しました。
アソコはもちろんお尻も犯されたこと、おしっこも飲んだこと。
定期のおじさんのことも聞かれ、売りをしてたこと、お尻はおじさんに仕込まれたことも話しました。

婦警さんは溜息を尽きながら「痛かったでしょ?」と聞いてきましたが、「最初は痛かったけど、慣れてくると気持ちよかった」と答えました。

婦警さんは淡々と調書を記入していました。
最後の方は自分からしてたことも正直に答えました。
婦警さんに全身が性感帯になる感覚を説明すると、また溜め息をつき、調書に記入していました。

「一番辛かったことは?」

そう聞かれ、お尻にお湯を入れられて茶色のお湯がお尻から吹き出したこと、お腹が空いて精子入りのハンバーガーを食べたこと、おしっこを飲んだことと、私は意外と冷静に答えました。
付き添いの若い婦警さんは顔が真っ赤で、「こんなこと普通の女子高生はしませんよね~」と私が言うと、「あなたは被害者なのよ!」と怒られ、それからは警察の聴取を拒否しました。

私は病院にいる時もオナニーしてしまい、拘束服を付けられたりもしました。
なんかキモオヤジのマンションと一緒だなと思いました。
お母さんは病院に来ると泣いてばかりいるので、来ないで欲しいと言うと次の日から来なくなり、週に1度来るか来ないかになりました。
徐々に私のオナニーも回数が減り、別のある施設に転院させられましたが、県外にあったため、お母さんが来るのは月に1回くらいになりました。

私が施設で過ごしている時に両親は離婚。
その1ヶ月後にお母さんは交通事故で亡くなり、お父さんも行方不明。
私は1年近く施設で過ごし、今は施設で紹介された仕事に就いて過ごしています。

あの監禁で私の人生は狂ってしまいました。
昨日、キモオヤジが仮出所したと警察から報告をもらい、思い出して書き込みました。

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