ニート歴20年の50歳のオッサンにも彼女が出来た[前編]

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色々と時間はかかったが良かった。
仕事も頑張れるようになった。
20年ぶりに社会復帰して良かった。
ニート時代は先の人生が見えんと思ってたが、ちょっと自分語りだけど聞いて欲しい。

20年前にパチスロにハマり、働いていたがスロットだけでも食えると思い、勢いで仕事を辞めて終日パチスロ三昧の人生を5年ほど過ごす。
35歳頃にパチスロでは無理と感じて社会復帰しようと思うが、5年のブランクが長すぎて復帰する勇気がなくなる。
それから15年は親のスネをかじり、ニートを15年。
50歳を迎えた時に周囲は既に結婚もして、家も建てて、会社でもそれなりの地位と給料もある。
俺には何も無いのを不安と絶望で感じてたが、感じてただけ。

去年の2月に父親が心筋梗塞で突然亡くなった。
通夜や葬儀で、俺の将来を父親は心配して悩みの種だったと親戚中から責められ、「お前が立ち直るのが親父への罪滅ぼしだ」と諭される。
職安に行くも、50歳で20年ニートでは応募しても採用されず、いくら人手不足の運送や介護業界ですらも受からない。
とりあえず自力で稼ぐ為にもバイトでも良いかと思い、求人を探したら仏具工場のパートがあり、時給1050円の求人があり。
面接に行くと採用され、去年の4月からパート待遇だが社会復帰。
社会保険は掛けれないからと会社から言われ、週に20時間以内で、月給にしたら8万ほどしか働けないと言われたが、あれこれ言える立場じゃないし給料が少なくても自立できるならと務めた。

働いてみて、自分の空白の20年を痛感することになる。
まず仕事が出来ない。
誰でも慣れれば出来ると言われたが、簡単な作業でも俺には出来ないでいた。
仕事が出来ないのはパートだろうが超重罪で、周囲の信頼が得られないでいた。
仕事が出来ないけど一緒に働いてた人達の多くが60歳を超えた爺さん婆さんばかりで、この環境が50歳ニート上がりの自分には良かったのだ。
もし同年代や年下ばかりの環境だったら挫折して、数日でニートに戻ってただろうと思う。
65歳の爺さんが本当に優しく俺みたいなもんでも丁寧に根気強く丁寧に教えてくれた。
還暦超えばかりの人達の中では、俺でも若手の部類に入る。
もし長期間ブランクがあり社会復帰したいと考えてる人が居るなら、老人が主力の会社を探すと良いと思う。

まず僕の与えられた仕事は仏具をヤスリ掛けして磨くこと。
この作業を8時30分から12時まで、月曜日から金曜日まで続ける。
簡単な作業だと思うが、20年ニート上がりではミスも多く、ヤスリ掛けが雑とか指摘されるが、12時で強制上がりだから仕事の途中でも強制退場させられる。
爺さんには「明日も頼むぞ」と言われ帰宅する。
この「明日も頼むぞ」の言葉が凄く明日も頑張ろうと思える力になった。
爺さんを仮に『山田さん』と名付けるとしよう。

山田さんは本当に根気強く教えてくれた。
午前中に山田さんは10個くらいの仏具をヤスリ掛けするのに、僕は頑張っても4個ほどで更にミスも多い。
それでも、「これだけ出来れば戦力だ」と褒めてくれて、誰かに褒められるのって嬉しいんだと自分に少し自信ができた。
明日はミスなく頑張ろうとも思えた。
人から明日も頼むとか色々と褒められると、自分も早く頑張ろうと思えるし、早く戦力になりたいと思い、ヤスリと捨てる仏具を貰い家でもヤスリの練習を午後からも続けた。
簡単な作業なので1ヶ月もすれば普通に出来るようになる。
作業場は俺と山田さんの2人で、他に金箔貼りや漆塗りや組立の部門があるのだが、関わりは山田さんとしか無く、この環境が本当に良かったのだ。
金箔、漆塗り、組立の年齢層も60歳越えばかりで、工場長だと70歳の人だ。
30代や40代も居るのだが事務、配送、営業ばかりで現場は爺さん婆さんが主力。

山田さんは、工場長や他の従業員に僕のことを、「まだ遅いが真面目にやってる」と話をしてたみたいだ。

たまに工場長から「慣れたか?」と聞かれることもあり、「まだまだです」と答えてたが、「期待してるから頑張って」と言われた。

この「期待してるから頑張って」の言葉は、何気ない言葉でも僕は嬉しくて帰り道に泣いてしまった。
帰りに親父の墓に報告に行ったのを覚えてる。
「頑張って」という言葉は、普通の社会人には日常会話レベルで出る当たり前の言葉なんだろうが、20年ニート上がりの僕には凄く心に響く自分に自信を持てる言葉なのだ。

ある程度、仕事が分かってくると雑談しながら作業を出来る余裕が出てくる。
山田さんは爺さんでもあるしなんでも話せて、ニートしてたことや、親父が俺の心配してたことを言えた。
これが同世代や年下が多いと自分が惨めで何も言えないどころか、自分が恥ずかしくて逃げてた可能性は大きい。
自分の恥ずかしい部分を他人に話せる環境なのは、無理に自分を偽装しなくて良いし相手が爺さんでも気が楽になる。
ニート時代は自分が恥ずかしく、昔の友人とかに会えなかったし、たまにLINEが来ても仕事が忙しいと嘘をついている生活をしてた。

給料は7万程度が半年ほど続いた。
7万でも給料が貰えるのは凄く嬉しい。
洗濯した作業着が干してあるのを見て働いてると実感できた。

配送の人がコロナになり、急に「配送してくれ」と言われ、ヤスリ掛けじゃなく配送を1週間ほどすることになった。
工場で仕上げた仏具を店舗に配送するんだが、店舗は5件しかないのだが移動距離もあり、8時から16時頃までかかる。
週に20時間超えるのだが、この週は35時間は働けた。
朝から夕方までの仕事だと1日頑張ったと思えるほど充実感があり、午前中だけでは物足りないなと労働意欲も出た。
仕事を面倒くさいと20年前は思ってた自分だが、仕事が楽しいとすら思えた。
20年のニート生活は、毎日がネットとTVを見る環境だっただけとも言えるが・・・。

仏具店は基本的にワンオペで、若くても50代でそれでも自分より年上のオバサンばかりだった。
店は基本的に超暇でオバさん達はTVを見たりスマホでゲームしたりしてる。
忙しいのはお盆くらいで、忙しいと言っても店が賑わうわけでもない。
工場では山田さんとの作業がメインだが、他の作業場に行くこともあり、半年もすれば会社に自然と馴染めたと思う。
辛かったのは仕事を覚えるまでで、覚えてしまえば何てことはない。

20年ニートしてたが、30歳までの10年は社会人をしてたわけで、労働時間は短くても仕事に慣れると社会人時代の感覚が取り戻せることを、ブランクが長くなって社会復帰に不安がある人には言いたい。
最初の面接とかに行くまでの勇気さえ出せば、会社にパートだろうが入れば、労働では社員もパートもやることは同じ仕事であるのは変わりない。
人間関係やコミニケーションが不安だと思っていたが、自分より年上ばかりの環境だと50代でも若手で可愛がってもらえる。
配送で店舗に行くとオバさん達も暇疲れして他人と喋ることが暇潰しになるみたいで、店に行ってもオバさんとの交流が楽しい。
20年ニートしてたから他人との交流はとにかく新鮮で刺激的だった。
普通の人ならババアうざいとか面倒とか思うかもだが、社会から孤立してると他人との交流は楽しかった。

ここからスレタイにあるような本題に入るのだが、店のオバさんと僕は付き合うことになる。
ここから過程を書かせて頂くが、僕のノロケ話になるし、相手が同じ歳の50歳なので、オッサン、オバさんの色恋を気持ち悪いと思う人は読まないで欲しい。

付き合う人は、仮に『村上さん』としよう。
店の1つで60歳のオバさんが辞めるみたいで、村上さんはパートで新しく入ってきた人だ。
僕が初日に配送に行った日が研修日のラストだったらしく、翌日から1人で店番に立つ日だった。
村上さんが1人で店に立つ日に配送で訪れて、暇なので色々と喋ってた。
この頃には自分もパート身分ではあるが半年以上は過ぎてたし、ニートをしていたことも過去のことになり、今の自分はパートでも働いてると自信を持ててたから、「以前はニートしてて、親も死んで、バカ息子ですわ」と自分で他人に言えるようになってた。
20年ニートでも環境が変わればニート時代は過去になるので、もし今もニート時代が長くて不安だと思ってる人が居れば安心して欲しい。
環境が変わり、ニート時代が過去の出来事になれば、笑って他人に言えるようになるからだ。
ニートしてると自分が恥ずかしくなり自分に自信が無くなり、他人から見える自分ばかり気にして何も行動しないどころか、行動する勇気すら出す気力も無くなってしまう。

(せめて父親が生きてる時に頑張れば良かった)と今でも後悔はあるが、天国から安心して見てくれているはずと自分に言い聞かせて過ごしてる。

村上さんはバツイチで、子供が2人居るが既に28歳と25歳で、2人とも東京で働いてるみたいだ。
今は両親と3人暮らしみたいだ。
この村上さんは明るい人で新人パートのオバさんでもベテランのような雰囲気があり、余裕があり、同じ年とは思えないほどだった。
村上さんは喋ってると頻繁にボディタッチをしてくる癖があった。
肩を叩いてくる程度だが、僕は少し嬉しくて店に2人の状況だったので、(ひょっとすると俺のことが気になるのか?)と勘違いした。
ネットで女性がボディタッチする心理をすぐに店を出た後に調べた。
ニートしてると女性との交流もなく右手だけが恋人で、たかがボディタッチですら意味を自分に都合が良い解釈の記事を読み漁った。

『女性は生理的に無理な人には触れない』との解釈がどの記事でもの見方だった。

配送の人がコロナ復帰するまで1週間しかない。
村上さんと交流できるのは4日間だけで、4日経てば僕は再び午前中だけ労働者になってしまう。
なんとか連絡先を聞きたいなと思い、2日が経過した。
4日目も店に行くと当然のように暇なので、世間話を10分ほどして次の店に行く。
ずっと話をしてたいのだが、回る店もあるので名残惜しいが退散。
最終日も連絡先を聞くこともなく、僕の配送の仕事は終わった。

翌週から再び午前中労働者生活が始まった。
村上さんと喋りたい僕は午前中の仕事が終わると村上さんの居る店に直行した。
一応、「午前中労働者で暇で暇で仕方ないから遊びに来た」という理由を作っていった。
村上さんも僕が20年ニートで月給7万程度なのは知ってる。
自虐的に、「今まで好き勝手してきたから仕方ない」と愚痴っていたが、村上さんは「昔はどうあれ、今は短い労働でも働いてるから立派じゃん」と言ってくれた。
僕と同世代の多くは正社員として立派に働いてるのが普通だ。
それなのに僕みたいな底辺でも立派と言ってくれる人が居た。
もう僕の心は、村上さんしかいないと思った。

4日連続で仕事が終わると村上さんの店に直行。
2日目くらいにLINE交換は出来た。
店には2時間くらい滞在して夕方には帰宅。
帰宅してもLINEで世間話を続けたり。
超久しぶりの女性との交流は相手がバツイチだろうが50歳でも楽しくて、LINEの通知が来るのを楽しみにしてた。
4日連続で行った最後の日に、「村上さんのことが好きかもしれん」と好意を匂わすことを冗談半分で言ってしまった。
村上さんは苦笑いだったと思うが、LINEでも熱い匂わす文章を送ってしまった。
その結果、既読無視されるようになり、村上さんからのLINEは来なくなった。
ちょっと焦ってしまい、距離を縮めようとした僕のミスである。

『しつこくしてゴメン』と超長文のLINEで弁明するも既読無視。

既読無視されると怒ってると思い、店に直接の謝罪に行くも、「疲れて寝てた」とか言い訳されて明らかに僕のことを避けてる。

ネットで『片思いの人に嫌われたかも』との記事を読み漁り、どうやら僕は『冷却期間を置いて頭を冷やす必要がある』ということがわかった。
確かに僕は20年も女性との交流を断絶してたので、女性との交流の仕方を忘れてしまってたと思う。
熱い気持ちを一方的に匂わすだけで、村上さんの気持ちのことは何も考えてなかったのだ。

<続く>

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